母の形見のダイヤモンド

母の形見のダイヤモンド

僕が10歳の頃、母の病が発覚しました。病名はC型肝炎、以前心臓を患っていて大きな手術を施された際に使用された輸血用血液が原因だったそうです。当時まだ幼かった僕と4つ年上の姉に対して、母は臆することなく「私の余命はもって後5年らしいから、あなたたちもしっかり準備しておきなさい。」と言ってきました。そのときの絶望感たるや…20年以上経った今でも鮮明に覚えています。姉は大泣きしていましたが、僕には絶望感が勝ち過ぎていて涙は出ませんでした。母は僕のことをどう思ったでしょうか…。

それから母の闘病生活が始まりました。「もって5年」と言われた母の病気でしたが、母の精神力が強かったためか、何度か入退院と手術を繰り返したものの、5年経っても肝臓ガンに進展することはありませんでした。しかし、僕がちょうど高校に入ったあたりから母の生活はほとんど病院で過ごすことになりました。おそらく9割くらいは入院していたと思います。姉は高校卒業して上京してしまったため、僕は中学時まで続けていた野球をやめて、学校が終わったらすぐ母の病院に行って勉強をするという生活をほぼ3年間続けました。学校の友達より入院患者や看護士らとの方が仲が良かったと思います。入院生活が続いておりましたが、僕が高校を卒業しても母は元気でいてくれました。僕は母の近くを離れたくなかったのですが、母は僕に東京の大学に行くように薦めてきました。僕のやりたいことを知っていたからです。そして僕も姉と同様に上京することになりました。上京した僕は3ヶ月ほど実家に帰りませんでした。

アルバイトに明け暮れていたのです。父に支援してもらっていた仕送りに不満があったわけではなく、自分で稼いだお金で母にプレゼントをしたかったからです。3ヶ月の深夜びっしりアルバイトを入れて母へのプレゼントに恥ずかしくないものを買えたと思っています。「ダイヤモンド入りのネックレス」を購入しました。購入した翌日、すぐに母にプレゼントしに行きました。母は涙を浮かべながら喜んでくれたのを覚えています。看護士さんらにも冷やかされながら喜んでくれてました。それからすぐ母の病は肝臓ガンに進展し、更に約半年後に母は他界しました。明け方に急に容態が悪化したため、僕は死に目に立ち会うことができませんでした。後から父に聞いた話では、僕が渡したプレゼントを気に入ってくれた母は約半年の間、毎日つけていてくれていたそうです。母に渡したそのプレゼントが、逆に母の形見となりました。そして、あれから10年経った今、僕の妻がそのネックレスをつけていてくれています。

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